高麗青磁の窯址
高麗青磁の窯址は朝鮮半島全域で確認されていて、高麗初期・中期・後期により青磁窯址が集中的に分布する所が違っています。
高麗初期
高麗初期には中国のカマの製作技術を受け入れて作られた煉瓦のカマが中西部地方に集中していて、土器カマの伝統を受け継いで作られた泥カマは南西部地方を中心に集まっています。
高麗中期
高麗中期になると煉瓦のカマは消え、南西部地方で流行した泥カマで青磁を製作するようになりました。この時期には康津と扶安に集中して青磁が生産され、次第に大田、陰城、龍仁、驪州、漆谷、釜山、海南などに青磁の製作地が広まりました。
高麗後期
高麗後期の青磁窯址は泥カマとして出現し、窯址の数が急激に減ります。康津では高麗後期の窯址が以前より増加し、ソウルの水踰洞、醴泉の黃池里などでは高麗最末期の象嵌青磁が生産され、朝鮮初期の粉青沙器に継承された過程が分かります。